マンガ「岡山城ものがたり」
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生前に長生きを願ってつくる墓のことを「寿陵」といいます。一七〇〇(元禄13)年、広大な庭園がほぼ現在の姿に完成しました。時には領民にも開放されたと伝わります。当時は「お茶屋」や「御後園」と呼ばれ、「後楽園」の名は明治以後のことです。曹そ源げ寺じの仏殿(本堂)の裏にんうょにく■■■■ょう正し覚か谷だ墓ぼ所しをつくらせました。また、一六九七(元禄10)年十二月──仏教信者の綱政は、儒教を重んじた父光政に対抗するかのように、本丸にある今の能舞台は手狭だ新しく舞台を作りわしは能を舞う大きな座敷も必要じゃ離れの茶室も方々につくれこの庭で自然を味わい憩いと文化の殿堂にするのじゃすぐ工事を始めよ!!上道郡円■山■村■に池田家の菩■提■寺■をつくり生きているうちにわしの墓をこしらえ安心したいはっしかし池田家の墓地は和意谷に……現在の後楽園の能舞台79

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