このままでは儒教を教える閑谷の学校があぶない……学校をつぶしては光政様に申し訳が立たぬ今のうちに学校を整えておこう永忠は一七〇一(元禄14)年頃に閑谷学校の大改修に取りかかりました。また、学校独自の経営ができるように制度も整えました。大改修では、講堂を建て直し、光政をまつる芳烈祠を整え、光政の爪などを埋めた椿山をつくりました。石塀を巡らし、備前焼系統の赤瓦を建物の屋根に葺いたのもこの時です。これで閑谷の学校は心配ない80
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