①鏡石
(かがみいし)
本丸入口あたりの石垣には城主の威厳や権力を誇示するため巨石が使われています。最大で高さ4.1m、幅3.4mで、厚みのない板石を立てたものです。発掘調査により、池田家が城主になった頃に築かれたと考えられています。この付近の巨石の一つには、昭和9年(1934)の室戸台風による洪水被害の水位も示されています。
②大納戸櫓
(おおなんどやぐら)
本丸の大手を守る要となる三重四階建ての城内最大の櫓でした。宇喜多直家の整備した亀山城(沼城)から移築したとの伝承もあります。壁には黒い下見板が張られており、藩政のための書類や道具類が保管されていました。
※現在、櫓は存在しません。
③鉄門
(くろがねもん)
「くろがね」は鉄のことで、木の部分を鉄板でおおったいかめしい門だったためこの名になったといいます。下の段の南側から中の段の表書院(政治の場)へ通じる櫓門でした。
※現在、門は存在しません。
④土台になって
いる岩盤
元々あった岡山という名の丘の端にあたり、石垣はその堅い崖面に支えられています。
ここでは、巨大な岩盤が露出しており、その形に沿うように、自然石を積み上げ、鈍角に隅部を形作っているのが観察できます。
⑤供腰掛
(とものこしかけ)
岡山城に登城した藩士らの付き人が、主人の用事が済むまで待機する場所でした。現在は、復元されており、休憩スペースとして利用できます。
⑥関ヶ原以前
1番高い石垣
宇喜多秀家が1597年までに築いた石垣で、加工していない自然石を用いています。隅部は岩盤の高まりに載っていますが、西寄りは石垣が3m近くも埋まっていて、本来の高さは15.6mもあります。関ヶ原合戦以前の石垣としては全国屈指の高さです。
⑦拡幅整備
された石垣
宇喜多秀家が築いた石垣の隅部に、小早川秀秋が石垣を継ぎたして直線的に改修した跡が観察できます。秀家は安定性の高い大型の石材を積んでいる(左側)のに対し、秀秋は丸みの強い石材を積んでいます。
⑧六十一雁木門
(ろくじゅういちがんぎもん)
城の裏手の旭側に通じる門です。雁木は階段のことで、元は61段あったことに由来する名といわれます。石段の下にはさらに櫓門があり城の守りを固めていました。
⑨天守台の形が
わかる石垣
天守台は、宇喜多秀家が1597年までに築いた高さ14.9mの石垣です。自然の石を用い、平面が不等辺五角形をしているのが特徴です。この場所は、元々あった岡山という名の丘の端にあたり、石垣はその堅い崖面に支えられています。
塩蔵下の石垣は、せり出してきた元の高石垣を補強する目的で江戸時代の1688~1703年に築かれました。丁寧に面を整えた石を横に積み、最上段の石は角を丸く加工しているのが特徴です。
⑩矢穴や刻印が残る
石垣
(やあな や こくいん が のこる いしがき)
石垣に使われている石の中には、石を切り出す際の「矢穴(やあな)」や「◯に+」や「L」形などの刻印を持つものがあります。この刻印は、石工らのサインといわれており、複数のグループが石積み作業に携わっていたことがわかります。
⑪廊下門と渡り廊下
(ろうかもん と わたりろうか)
本丸の搦め手(裏手)にある櫓門で、門の上に敵を迎え撃つ上屋がありました。上屋は本段(城主の住居)と中の段(政治の場)を結ぶ城主専用の廊下としても使用されており、廊下門と呼ばれていました。1966年に再建されました。
⑫発掘調査で見つかった
築城当時の石垣
発掘調査で見つかった宇喜多秀家が岡山城を築いた時の石垣です。江戸時代の初めに城を改造する時に、この石垣を埋め込んで「中の段」を北に大きく広げたため、地中に埋もれていました。
今から400年あまり前の石垣で、自然の石をほとんど加工せずに用いるのが特徴。30年ほど後に積まれた中の段北側の現役の石垣が新式の割り石を使っているのと異なります。
この施設は、石垣をまぢかに見据え、そうした城普請の時代的な発展の実態を体感していただくために、立入りができるようになっています。
⑬月見櫓
(つきみやぐら)
本丸の裏・北西方向を守る櫓。1620年代に池田忠雄が築いた実物で、国の重要文化財に指定されています。城外側からみると二階建ですが、城内側からみると三階建で、一番下の階は土蔵となっています。
城外側には、鉄板で覆われ下部に石落のある出窓があって、敵を監視、迎撃するための軍備を高めています。城内側では最上階に高欄と廻縁(手すりと縁側)があり、天井板も張られて、月見櫓の名のとおり風格を高めた造りです。戦国時代の終わりにあたり和戦両様の特徴を持った櫓といえるでしょう。
月見櫓につながる北と西の石垣の最上段には、内側から鉄砲で狙い撃ちするためのすき間がくりぬかれた銃眼石があり、櫓と一体で軍備を高めていました。
⑭不明門
(あかずのもん)
本段に上がる入口として防備を高めた大型の城門です。本段には藩主が暮らす御殿(江戸城でいう大奥)があり、限られた人しか入れませんでした。よってこの門は普段閉ざされ、それが名の起こりとなりました。江戸時代、藩主の移動は天守近くにあった渡り廊下で行われたといいます。
この門は明治時代に取り壊されましたが、1966年に外観が再現されました。
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