●宇喜多の忍者

岡山城は忍者にゆかりが深いのです。宇喜多直家が城を築くにあたり、まっさきにやったのは、忍者を「岡山」に忍び込ませることでした。いまの岡山城付近に岡山という丘があって、金光という武士が「わずかの(土を)かきあげ」て小さな砦(とりで)を構えていました。直家は城を築くのに絶好の場所なので、この砦が欲しくてたまりませんでした。そこで岡信濃という重臣に命じて、金光の砦を軍勢で取り巻きました。岡は三人の忍者を家来にしていました。森俊弘氏の研究によると、「なまあぜ源六、西崎おこ右衛門、小橋かん三兵衛など」という奇妙な名前の忍者です。彼らが岡山の砦に「忍び入り、火をかけ」て落城させ、ついに直家は「岡山」を手に入れたのです。直家は岡山のとなりの石山(いまの山陽放送付近)を中心に、居城を築きました。直家の子の秀家の時代になると、岡山城としてさらに大きく拡張されました。その時には、有名な伊賀忍者もたくさん雇っていました。秀家は服部藤内という者を忍びの頭にして「伊賀ノ者」を二十人預け、使っています。しかし、宇喜多秀家は関ケ原の合戦で敗れて、八丈島に島流しになり、この忍者部隊は解散しました。服部藤内は、秀家死後は浪人となり「浦間村(現岡山市東区浦間)に住居、同所にて病死」したと伝わります(森俊弘2020『岡山地方史研究』152号所収論文、岡藤三郎・服部弥三郎「先祖並御奉公之品書上」)。彼が宇喜多家最後の忍者だったのでしょう。

●小早川の忍者

かわりに、岡山城主になってやってきたのは、小早川秀秋です。秀秋が岡山城主になれたのも忍者の働きが大きかったのです。関ケ原の戦いの前、はじめ秀秋の小早川家は大坂にいて、石田三成や宇喜多秀家たちの西軍に味方していました。しかし、ひそかに途中から、徳川家康の東軍につくことを決めたのです。スパイとして、関東にいる家康に、こっそり三成たち西軍の動きを知らせることにしました。私の研究によれば、まず秀秋は「足軽十人をつかわし、しのびの者となし」(『寛永諸家系図伝』岡野系図)と、十人の足軽を忍びの者に仕立ててました。この十人を、山岡道阿弥という甲賀忍者の元締めと、家康の外交窓口の岡野(板部岡)江雪斎につけて連絡役とし、西軍の動きをスパイして、家康に知らせました。「三成が謀反の事をうかがうに、あらわれずということなし」と、ありますから、山岡の甲賀忍者と連携したこのスパイ活動は大成功だったのでしょう。秀秋は関ケ原の戦場で突然、西軍を裏切ったように思われがちですが、違います。事実は、開戦前から、水面下で、東軍に味方していて、小早川家の忍び者十人が、家康にずっと情報を送り続けていたのです。秀秋が大谷吉継の陣を背後から襲い、宇喜多秀家の陣も崩れて、関ケ原の勝敗が決したのは、この流れからでした。

●池田の忍者

関ケ原の戦いで忍者にかかわったのは、小早川家だけではありません。小早川家のあと岡山城主となった池田家も、関ケ原で戦いました。その頃の池田家の当主・池田輝政は家康のお婿さんで、家康方の東軍についていました。この輝政、関ケ原で最初に立てた手柄はこんなものでした。輝政が見回りにでると、「原孫左衛門」と名乗る牢人が現れ、就職活動をはじめました。戦場では、こういう売り込みは珍しくありません。「親類の吉村加右衛門が一柳監物(直盛)様に召し抱えられた。自分も有り付きたい」などと吉村に面会を求めてきたのです。しかし、輝政はピンときました。牢人の刀脇差を預かり、吉村に物陰からその牢人の面体を確認させたのです。すると、吉村はいいました。「たしかに知った者。私同様に牢人でした。でも、このあいだ、(敵の)福原馬之助(右馬助=石田三成の妹婿)方に、黄金3枚で召し抱えられたはず。あやつは紛れもなく忍びの者です」。輝政はすぐにその忍者を捕らえさせ、言いつけました。「井伊兵部(直政)殿が青野ヶ原(関ケ原)にいる。そこへ、(やつを)引っぱって行け!」。井伊直政は「忍びの者を捕らえられたよし。ここまで送られ、一段の手柄!」と、返答したと伝わります。『一柳家記』という書物中に、この記録をみつけました。池田輝政の関ケ原での最初の手柄は、潜入をはかる敵の忍者を見破って、井伊直政につきだしたことだったのです。のちに、この輝政の子・池田利隆や孫の光政などが岡山城の城主となり、池田家もまた、忍者を盛んに使いました(磯田道史『歴史の愉しみ方 - 忍者・合戦・幕末史に学ぶ』中公新書)。忍者は殿様から「御内用」という極秘任務を授かりました。早川八五郎という幕末の忍者は、とくに殿様にかわいがられました。参勤交代の大名行列で、警護をすると、殿様から「煙草入れ」を何度ももらっています。八五郎は「御城において…(殿様の)御手元より金子三百疋頂戴」と、岡山城で殿様のお手元からお金(0・75両)をもらったことさえあります(児嶋小弥太「先祖並御奉公之品書上」池田家文庫、岡山大学付属図書館所蔵)。
ちょっと、忍者の秘密や実名を明かしすぎました。忍者に怒られそうなので、これぐらいにしておきます。このように岡山城は忍者に縁が深いので、ひょっとすると「令和の忍者」がお城に登場するかもしれません。
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